全国を制覇した将棋の先生
けんぞうさん
出身 越知町
お住まい 町内
いつから 生まれてからずっと
あだ名 けんぞうさん 将棋の先生
思い出の歌 星影のワルツ、石原裕次郎の王将夫婦駒
好きな芸能人 吉永さゆり
越知町の魅力 自然!仁淀川
越知町の好きな場所 お嫁さんの里。黒瀬キャンプ場の近くに畑があり、週3~4日そこで黒瀬公園でお昼を食べるのが日課
けんぞうさんの日課
愛犬との散歩。宮の前公園と横倉山を眺めながら、仁淀川の川原を歩く。
仕事:越知の小学校、越知中学校に通い、卒業後、佐川高校に入学。
卒業後は越知町役場で42年間勤務、43歳で建設課課長4年、その後、税務課長兼、副収入役を務め、一旦退職、52歳からは2期8年、特別職の収入役を務めた。
役場退職後は、社会福祉協議会会長を3期6年、佐川・越知・日高シルバー人材センター理事長を2年間、務めた。
現在は町民会館の将棋サークル理事。また、日本将棋連盟高知県連合支部副会長。
けんぞうさんの【ここがすごい】
全国制覇まで成し遂げた、将棋。
将棋の腕前は、知ってのとおりプロ!数々の全国大会に四国及び県代表で出場。42歳の時、全国制覇を成し遂げる。
憲三さんの将棋ストーリー
昭和62年度全国支部名人
南海王将通算11期(永聖南海王将)
アマ名人戦県代表9回
朝日名人戦四国代表6回
竜王戦県代表4回
全国支部名人戦県代表7回
赤旗名人戦県代表6回
将棋6段、憲三さん自ら発起人である日本将棋連盟高吾支部支部長(S39~H28年現在53年間)日本アマチュア将棋連盟四国ブロック理事(S62~H8の10年間)日本将棋連盟高知県連合支部(H22~現在、8年間)
※上 平成6年10月号の高知新聞掲載
※下 平成3年12月号の広報掲載
はじめたきっかけ
小学1年生の頃、祖父から将棋を習い、祖父に勝ち、いつも将棋仲間が集まる近所の理容店で、おんちゃんに混じって将棋をしていた。
中学の頃には越知で№1になるなど、プロを目指したら、とのお誘いもあった。
大変だったこと
腕を上げるため,高知市内の将棋クラブに通い、真剣勝負で腕を上げていった事。
第23回高知県文化環境功労賞受賞
長きにわたって、将棋界を牽引され、高知大学医学部将棋部の講師を2年務められた。また文化推進協議会では、子ども将棋教室や将棋サークルで活動を行ってきた事など、後進の育成にも尽力された事が文化の振興に貢献された。
高知県で団体5組、個人が2名が受賞。なんとその個人2名の1人が憲三さんでした!
人生で一番嬉しかったこと
全国支部名人戦で優勝(全国制覇)を飾り、新聞・テレビでも報道され、越知に帰ってきた時、横断幕で迎えてもらえた事が嬉しかった。
昭和62年広報の表紙を飾りました!
人生エピソード
その1
高知大学医学部の将棋部で二年くらい講師をされた。
5年前からOBがOB会を14名立ち上げて、2年に一回同窓会を開いている。県外出身者が多かったので、高知県(地元で二回)、岡山、大阪、東京などで、けんぞうさんを招いて開催している。
その2
高知県のアマチュア将棋界の頂点を決める「南海王将」を獲得した時に
佐川署の教養日の席上で、部外講師として招かれた。(平成7年7月17日)
講演内容は「勝負と運と人生について」!
まさに、憲三さんの人生そのもの!
後継者
佐川での教え子(友人の孫)、小6,中1の兄弟。この二人に将来性があり、プロを目指して頑張ってほしい。
もう一つすごいこと教えます
絵描きの才能もあったとは!
実は、憲三さんは将棋だけでは終わらない。
中学2年生から粉末のコンテで人物画を描いていた。
消しゴムは使えない方法なので一発勝負!
仕上がりは2日間。
仕事を貰うほどの腕前で、主に人物の依頼を受けていた。
近所の方の遺影など、高校三年の時、佐川高校の校長、市川千秋さんの肖像画を描いたのは憲三さんである。
同級生の父が絵が達者で、3か月間習って、絵を描いていた。
絵を描いている時の名前は、(画名)憲峰!さん
50年前の作品。モデルは祖父。本物の写真と思えるくらい、芸術作品!!
尾方のつぶやき
将棋への熱い想いを語ってくれた、けんぞうさん。
全国を制覇した時の気持ちってやっぱり最高なんだろうな‥。
尾方も、いつも挑戦!とりあえず詩吟、頑張ろう!
ご協力ありがとうございました。
越知のおじやん図鑑
越知町役場企画課
地域おこし協力隊 尾方美貴