〜伝統文化を守り続けて〜
七夕まつりの縄なみ名人
ひでさん
出身 愛媛県角野町
お住まい 桐見川西浦
いつから西浦に? 小学2年生から西浦に移り住む
越知町の魅力は? 隣近所の絆が強い
越知町の好きな場所
我が家から見える目の前の景色。眺めていると今日も変わりないなと、ほっとできる瞬間 ※ご自宅の目の前は七夕まつりの開催地でもあります。
今までの歩み
中学校を卒業してから家業を継いで百姓に。主にサツマイモ(高系)、米や麦も作っていた。サツマイモは、当時、囲炉裏にでン串に刺した芋を焼いて食べていた。
その他の活動
19年間、区長を務めていたことも。越知では最長記録。
昔、法念踊りのあと、余興で廻しをしめて相撲をとっていた。
ひでさんの【ここがすごい】
縄なみの達人
桐見川西浦ではただ一人.。
※越知では藁を編むことを「藁をなう」と言う。
秀夫さんが藁に手をかけると、瞬く間に美しい縄になっていく。
神業でした!
秀夫さんが七夕まつりの一カ月前から準備して、一人で85メートルの長さの縄を作っている。誰かに教えてもらったわけでなく自分であみ出していった技らしい。※2年前からはロープでされている。
縄なみをはじきっかけ
桐見川西浦では、毎年旧暦の七夕の日に『七夕祭り』を行なっている。
七夕祭りに必須な藁で作った長い縄を、幼い頃から各ご近所で作っていたそう。一戸が三尋半、また五尋半なう家もあったようです。
最後にそれをつなげて橋渡しを行っていた。
大変だった事
手に豆ができる事。
手作業で1人で編んでいるため、一か月前から藁縄を作っている。
秀夫さんが編めば一瞬で縄になっていく。見事な手ほどき!
こんな嬉しい事も
2014年の高知新聞に掲載の記事で、全国公募写真展で南国市の方の作品で「朝の宴」が全国1位内閣総理大臣賞を受賞。
また、第59回の県展でいの町の方が
「山里の朝」が特選を受賞。
この出来事をきっかけに、桐見川西浦の七夕まつりが世に広まって全国から訪れる人が増えたそうです。
2014年高知新聞掲載
人生で一番嬉しかったこと
楽しく皆でお酒を飲めること。
人生エピソード
お嫁さんと結婚が決まった時、当時は宅急便がなかった為、嫁入り道具のミシン(当時は貴重)をお嫁さんの実家(葉山村(現在の津野町))まで担いで持っていった事。その晩、お嫁さんの実家で、義父が手作りのお酒をふるまってくれて杯を交わした、思い出深い日。
桐見川の七夕まつりについて
桐見川の西浦集落は、旧暦の7月6日のお昼から7日の朝にかけて行われる、七夕まつりがおこなわれている。
翌7月7日の朝、仮に張り渡しておいた七夕さまの縄をいったん下ろします。
前の晩に作られた、わらの馬・犬・木で作った梭やチキリ(糸巻き)などの機織り道具と刀・庖丁、1対のワラ房、わら馬、季節の野菜、1m余りある五色の幣を飾り、再び谷渡しに張り渡されます。
七日の朝に集落の一部の集まって宴が行われる。
秀夫さん曰く、七夕が終わっても縄が切れるまで、そのままにしておくのだそう。
ワラ縄が切れる時、願い事が叶うという言い伝えも・・・。
なんとロマンチック。
尾方のつぶやき
七夕といえば短冊に願い事を書いて笹に結ぶ事しか知らなくて、こんな立派な伝統行事がある事に感動した事を覚えている。清らかな空気が漂っていた。
七夕の日にヒデさんのところへ向かうと、宴会をされていた。よう来たねと朗らかな笑顔で迎えてくれて、七夕の事を話してくれた。縄が結ばれている、わりと高いところにある木を指差して、あそこに登ってみんかと言われて、足場悪そうですよ〜ここ〜と思いつつも面白そうと思って、ヒョコヒョコ登ってみた。たどり着いて近くで見ると、その大きさに驚く。これに登って縄をくくっていたんだと思うと、頭が下がります。
越知のおじやん図鑑
越知町役場企画課
地域おこし協力隊 尾方 美貴